FC2ブログ

青年海外協力隊~ガーナinアフリカ~xml RSSリーダー


スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

「ガーナの歴史を知ろう その4 植民地下のガーナ」

「ガーナの歴史を知ろう その4 植民地下のガーナ」

ガーナで青年海外協力隊員をしております。活動もそろそろ終わり。ということでいろいろなことをまとめている次第であります。
前回はイギリスがついにとアサンティ王国(ガーナ)を植民地化しました。
今回はガーナの歴史4、植民地下のガーナです。

〇1879年 諸説あるがテテ・クワシがカカオの生産を始めたとされる。
1902年 イギリス、アサンティ王国を植民地化。(植民地支配とは言ってもチーフ(首長)には一定の権限が認められていた)それによって金の採掘活性化。マンガン、ダイヤモンド、ボーキサイトなども発見される。
1905年 セコンディ-クマシ間の鉄道開通。
1914年 道路1部開通
1923年 アクラ-クマシ鉄道開通
1924年 道路全土に拡大
1930年代 カカオ不売運動

このころイギリスで教育を受ける新興エリートがでてくる。
またカカオ生産でぼろもうけをしていたのもこの時代。とにかくカカオを育てれば何でもできる。見たいな雰囲気があった様子。しかしそれも1930年ごろになるとヨーロッパに安く買い叩かれるようになり、カカオ不売運動をしたようである。

カカオについて少し補則を。カカオは1度育てると30年は実がなり続けるために非常に安定して収入が得られる。しかしながらガーナは母系家族なので突如、お父さんが死ぬとそのカカオは奥さん、息子には行かずその父の母方にまわってしまう(要するに父さんの兄弟に)。そのころカカオを育てている家族はそれのみ育てていることがほとんどだったので、それによって奥さん、息子は路頭に迷うという社会現象も起こったといわれている。

私的なコメント
ここでのコメントはとにかく鉄道、道路に尽きる。2005年現在、鉄道はアクラからクマシの途中4分の1くらいまでしか走っていない。セコンディクマシ間などまったく走っていない。道路もODAが入って一生懸命作っている。100年前にできたり、開通したりしたはずなのにどういうこっちゃい!!!と突っ込みを入れたくなりますね。ここからわかると思いますが、現在でもそうなのですがガーナ人は維持できないのですよ。どんなものでも消費していけば老朽化して使えなくなります。ガーナでは新しいものができていかないから、もらってそれが尽きたら終わりってのが流れなのです。だからODAで作った道路もガーナが進歩しなければ老朽化したら直せませんよ、多分。

次回は独立の話。

参考文献「ガーナ混乱と希望の国」高根務著 アジア経済研究所

追伸 なぜかその4から敬体ではなく常体になってますが、気にしないで呼んでください。気分が自分の中で変わったのかな???
スポンサーサイト

テーマ:アフリカ - ジャンル:海外情報

  1. 2006/03/28(火) 14:59:00|
  2. ガーナの歴史
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<「ガーナの歴史を知ろう その5 ガーナ独立からその後・前半」 | ホーム | 「ガーナの歴史を知ろう その3 イギリスとの戦い」>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://kyouryokutai.blog59.fc2.com/tb.php/6-92a252ce
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

カテゴリー

リンク

イタリアマニアの気になることは?
なでブログ ~ 貧乏旅行記と旅行情報と台湾の色々について
なでなで地球―旅行者応援サイト

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

FC2ブログランキング

FC2 Blog Ranking

その他

人気blogランキング
みんなのプロフィールSP
アクセスアップ・SEO対策・検索エンジン登録

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。